日本のデヴィッド・ボウイ

ジュリーこと、沢田研二はかつて香港で日本のデヴィッド・ボウイと紹介されていたことがあるそうです。そう考えれば、このジャケット写真の撮影が鋤田氏でもおかしくないのですが、意外でした。なんとなく篠山紀信的。

沢田研二といえば昭和歌謡の大御所ですが、いち早く佐野元春を作家として起用するなど、このサイトで紹介されている他のアーティストともそんなに遠くない存在だと個人的には思います。

アルバムは源氏物語をモチーフにした企画物。編曲は大村雅朗氏、YMOのプログラマーだった松武秀樹氏も参加しています。

いわゆる人気者がアーティスティックな企画物に挑戦すると売れなくなってしまいますが、まさにこれもそう。残念ながらこのころからジュリー人気は下降線をたどります。シングルヒットは無くなり、レコード会社もこの後移籍となりましたが、良質なアルバムを作りつづけていました。

ちなみに東日本大震災以降、毎年3月11日には必ず反原発シングルを自主レーベルで発売しています。ロック魂は健在です。

[投稿者: 我が名はジュリー]


鋤田さんは1979年に沢田研二の写真集「水の皮膚」を撮影しました。アート・ディレクターの石岡瑛子さんが「ジュリーを撮れる人は、やっぱりボウイを撮った人しかいないでしょう」と話を持ってきたそうです。